まず対人・赤面恐怖症の人が、絶対にしてはいけない事があります。それは、「治ったかどうか自分を試すこと」。
対人・赤面恐怖症の人は、注意が常に自分自身や自分の顔にいっているので、気の休まる暇もない。あまりに神経質になりすぎて、病気なのか健康なのかわからなくなってしまっている。迷いの中に落ち込んで、右も左もわからない状態なのです。
どういう心の状態になったら、この恐怖症が治ったと言えるのかを説明します。
あなたが、この平和で食べ物も満たされている日本から、戦争で住む家もなく食べ物も少ない国に行ったとします。そこは何万人もいる難民キャンプです。あなたは、毛布と食べ物がほしいとします。でも、配給される数は、この難民キャンプにいる人々の3分の1だけです。早い者勝ちです。あなたは、対人・赤面恐怖症だからといってもらいに行かないのですか。毛布がなかったら夜は寒くて眠れませんよ。食べ物をもらわなければ生きてゆけませんよ。さあ、どうするんですか。当然、あなたは急いでもらいに行くはずです。私もそうします。その時の心境とは、どういうものでしょうか。それは、「生きるか死ぬかの時に対人・赤面恐怖症なんかにかまってられるか。そんなことを気にしていたら、ここでは生きてゆけない」。この心境こそ、対人・赤面恐怖症が治った時の状態なのです。
でもまてよ、これは治ったというより、忘れているだけじゃないのか。そうなんです。そんな恐怖症のことなんか忘れて生きているんです。自分自身が対人・赤面恐怖症であることを忘れることが、克服することです。だから、これが治ったか自分を試そうとすることは、克服していない証拠なのです。対人・赤面恐怖症が治ったか試しているかぎり、これは治りません。試すのをがまんして、忘れることを心掛けて生活していれば、早い方で2週間、遅くても1ヶ月ほどで治ります。忘れて生きることが治ることなのだから、「他人を苦にせずに日々過ごしている自分自身」に気づいた時が、完治した事を示しているのです。
恐怖症のあなたとそうでない健全な人の違いを一言でいうと、あなたは敏感なだけなのです。健全な人は鈍感なだけなのです。だから、健全な人も何かのきっかけで、あなたのように恐怖症になる可能性があるわけです。あなたは敏感すぎるために、普通の人がすぐ忘れてしまうことをいつまでも神経質に考えすぎて、自分自身を恐怖症という病気にしてしまっているんです。人間は本来、他人が怖いのであり、恥ずかしいと思ったら顔が赤くなるのが自然であり当然なのです。「こうあってはならない。こうあらねばならない」と思うことが間違っているのです。なるようにしかならない、そのままの姿でいいのです。いやだなと思ったことも耐えて過ぎ去るのを待っていれば、時が過ぎ去るとともに消え失せてしまうものなのです。
この病も一つの宿業です。日蓮正宗の信仰をお勧めします。生命力を高め正しい自己実現(宿命転換)を達成することができます。
日蓮大聖人云く「一念無明の迷心は磨かざる鏡なり。是を磨かば必ず法性真如の明鏡と成るべし。深く信心を発こして、日夜朝暮に又おこたらず磨くべし。何様にしてか磨くべき、只南無妙法蓮華経ととなえたてまつるを、是をみがくとは云ふなり。」(一生成仏抄より)