一人の人間の悩みや苦しみは、本人にとっては、地球をおおうほどの不幸に感じられるものです。よって私は、末法御本仏日蓮大聖人の慈悲の精神「抜苦与楽」苦しみを抜き、楽を与えると言う心をもって、あがり症などの心の悩みについて、どのように対処すれば良いのか述べたいと思います。
あがり症の症状の中で一番問題なのは、人前で体が震えるということです。これは、自分自身の生命力が落ち込んでいるのです。心もマイナス思考になっていて、いつも不安にさいなまれている状態なのです。これは、どうして、そうなるのかと言うと過去世や今世において正法である日蓮大聖人の仏法を誹謗したむくいなのです。これを根本的に解決する道は、日蓮正宗に入り、信仰するしかないと私は、思います。
大勢の人の前に立って話をしようとすると、なぜ心臓がドキドキし、緊張するのだろうか。
私は、この症状は、人間の本能によるのでは、ないかと推測します。人は、石器時代、石の斧や槍を使用して動物を殺して食べていました。その反対もあったと思います。多くのオオカミなどに囲まれて自分の命が脅かされることです。これに対処するには、臨戦態勢である興奮状態にならねばならなかったのだと思います。それゆえ、人前にでたら、緊張して心臓がドキドキしていいのです。この症状を静めようとするのは、無駄ということになると思います。
緊張しながらも、話すべき事柄を話せればいいわけです。うまく話をしようと思わないことです。へたでいいんだという気持ちで、「自分の思いをいかに、分かり易く伝えたらいいのか」を考えて話をすることです。また、笑顔をつくると緊張がほぐれて、スムーズに話が出来るようになると思います。焦らず、あきらめず、何度も繰り返して挑戦すれば、大勢の人の前でも自然に話が出来るようになると思います。
もう何年も前の新聞のコラム欄に載っていた大学教授のあがり症の話をします。その方は、授業が大の苦手でした。なぜなら、生徒達の前に出ると緊張の為に手や声、体が震えてしまい、いつも黒板の方ばかり見て授業をしていたそうです。しかし、ある時、胃の具合が悪くなり病院に言って精密検査を受けたところ、悪性の胃がんで、余命は半年ですと宣告されてしまったそうです。その日から、教授は自分の研鑽してきた事を自分の生徒達に全て教えなければならないという使命感を感じたのです。一日一日が、今日が最後の授業になるかもしれないという必死の授業となったのです。気がついたら、あがり症の震えは全くなくなっていたそうです。
この話は、何を意味しているかと言うと自分自身に死が迫っていることを強く感じたことによって、いつもは逃げ出したいと思っていたものが、この時から絶対に逃げない自分自身に変革したことです。そのことによって、震えなどのあがり症が消えたのだと思います。
日蓮大聖人は、この心がけの事を「臨終只今にありと解りて」と御教示してくれています。私も最初は、大勢の人の前で話をする時は、声が震えたりしていましたが、今はそのようなこともなく、普通に話せるようになりました。慈本寺での仏道修行のおかげだと思っております。あなたも自己実現の為に私と一緒に慈本寺で修行いたしましょう。えんしん院は、喜んであなたをお迎えします。